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幸せが『こわい』

彼氏ができた時、昇進した時、上京した時。

俗に『幸せ』の条件に当てはまるとき、私は必ず『こわい』という感情が存在していた。

私の中の幸せは朝に美味しいコーヒーをゆっくり飲むことだったし、天気がいいだけでも幸せを感じる人間だった。

だからそれ以上の大きな出来事、俗に幸せに当てはまるものに該当すると『こわい』が出てきた。

何が良くないかというと、自分で自分を制御してしまうことだった。

彼氏のいないあの子より先にできてしまった、同期のあの人より先に昇進した、地元から早く出たいと言っていた人より先に上京してしまった、、、幸せと感じるのは失礼かも。

みたいな。

ぶっちゃけ私は彼氏ができても、昇進しても、上京しても自分的には幸せの価値観は変わらなかった。

朝の美味しいコーヒーをゆっくり飲めれば幸せだから。

しかも、昇進したら忙しくなって朝ばたつくことが多くなったし、それに関しては幸せから離れる行為だった。

彼氏がホットコーヒーが苦手だから、合わせるようにすると自分の好きなコーヒーが飲めなくてそれも幸せとは離れる行為だった。

人にとっての幸せ、誰かにとっての幸せを自分の価値観と同じ土俵に持ってくるから『怖さ』を感じていたんだと思う。

私は私の価値観で、幸せを感じてる。

そう思えたら怖さは少しづつ消えていった。

自分の価値観で、自分の幸せを感じて生きていく。

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