自分がない、ことは自分があるということ。

私って、器用貧乏なんです。

私って、不器用なんです。

私って、あまのじゃくなんです。

私って、流されやすんです。

私って、平凡なんです。

私って、変わってるんです。

これまでの人生でいろんな私を語ってきた。

どれも嘘ではないけど、どれも一致し難い性質がある。

幼少期、学生時代、社会人、どの時期にも別人格の私が存在していた。

人によってペースを合わせたり、キャラを調整したり。

しかも無意識のうちにやってしまうから、自分でも自分がわからなくなる。

前までは結構、この人格ギャップに苦しんで、自分って多重人格なのかな?とか真剣に悩んでた。

軸がないのかな、とか。

でも、ある時から多重人格な自分すらそのまま受け入れてあげるようになった。

自分の性質上、仕方ないことであると。

そして、自分の性格が時期によって変わるのは成長してる証拠だし、

人によって変わるのは柔軟に対応できる証拠。

そうして考えると、『自分がない』ということは『自分の特性を把握している』ことだと思った。

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